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遊廓と水路〜札幌、薄野と白石の場合〜
札幌の歓楽街ススキノには、かつて薄野遊廓があった。 薄野遊廓の存在時期は明治4年〜大正9年にかけてであるが、その後も赤線になるなどして色町の機能は残り、今に至っている。 所謂「大門」や「見返り柳」などの遊廓らしい名残はないため、薄野遊廓の(現代における)知名度はそれほど高くはないような気がするが、実はひっそり、ススキノの南側にある豊川稲荷神社の境内にある碑や玉垣に、その痕跡があったりする。 薄野遊廓の娼妓と水子の哀悼碑 玉垣に残された「○○楼」の文字 遊廓らしい四角い地割も、札幌市街地の碁盤の目の中に埋没してしまう。 それゆえ現代の地図から薄野遊廓の境界線を見出すのはなかなか難しいのだが、大正5年の地図を見ると、薄野遊廓の輪郭が浮き出ているので、その範囲がわかる。 スーパー地形&今昔マップより、大正5年の薄野を この正方形の点線のようなものは、おそらく土塁を指している。薄野遊廓は当初、「ススキの生えた野っ原のど真ん中」に、「低い土塁で囲って」作られていたのだそうだ。 たまたま久しぶりに昔のブラタモリ(札幌)を観直したところ、現在でも、ススキノでこ
生 吉村
4 日前
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