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執筆者の写真生 吉村

暗橋に関する一考察 〜「橋と暗橋を愛でるトーク」を経て〜

更新日:2023年2月9日

『「暗橋」で楽しむ東京さんぽ 暗渠に架かる橋から見る街』が上梓され、1週間ほどが経ちました。

刊行記念イベントとして行われたのが、田原町Readin' Writin'さんでの「橋と暗橋を愛でるトーク」。ご参加くださったみなさま、ありがとうございました。


ぼちぼち、書籍を読まれた方もいるようなので(ありがとうございます!)、イベントを通して私が新たに理解した「暗橋」というものについて、書いてみようと思う。


ちなみに、イベント前半では執筆こぼれ話的な話をした。わたしは、

「もしも高山の章を吉村が書いたなら」

「深川メタリック暗橋さんぽ 補遺」

「インタビューで暗橋を「掘り起こす」 」

などを話したが、長くなりそうなので、これらはまた後日書くことにする。


後半が橋バトル。特別ゲストの八馬智さんと編集者の磯部さん=「橋マニア」のお二人と、暗渠マニアックス=「暗橋組」の対決仕様だ。ちなみに八馬さんは、「はちまドボク」にこの日のことを書いてくれている。感謝!




八馬さんも磯部さんも詳しい上に愛があってお話が面白いので、たいへん楽しい時間帯だったのであるが、このセクションを設けたのには、「開渠と暗渠の橋の鑑賞ポイントの違い」を明確にしたかったという意図がある。互いに推し橋を出すことで、おそらく撮りかたもビジュアルも違うことが一瞬でわかるし、愛で方を話すことで、互いの橋が持つ要素の違いがわかるはずだ。わたしが知りたいのは、それらを通しての「暗橋とは何か」「(開渠の橋と違う)暗橋の魅力・見どころ」だった。

そしてやはり、いろいろなことがわかった。


磯部さんが出してきた橋は、大きく立派な橋、そして全体を撮った写真だった。磯部さんの好みもおそらく影響して、構造が珍しいもの、見た目の美しいもの、素材の出処が珍しいもの、などが上位だった。

一方、暗橋は、欄干や親柱など橋の一部が多い。今回上位に入れていた暗橋は「欄干のみ」が多いので、我々は無意識に「親柱だけのやつより、欄干の方が立派」と思っている節がある。さらに、「一部を(印象的に)切り取られた」とか、「夜に光る」という、いっぷう変わった残され方をしている、という点に、暗橋としての「強さ」を感じているようである。


暗橋部門4位の大横川3点セット

八馬さんから「顔の一部を切り取った」と表現された平川橋



暗橋を見て、八馬さんが「これは橋なんですか?」と訊いてきた瞬間があった。

我々は暗渠上で暗橋を見つけるたび、「橋だ!」と喜んできた。我々にとっては、たとえ小さな橋名板のカケラであろうとも、それは「橋」なのだ。むしろ全てが残っている橋に出会うことなんて、ほぼ無いのだし。しかし「全体が存在している橋」を愛で続ける「橋マニア」は当然、全体を見ている。


わたしはラーメンが好きなのでラーメンに例えると、橋マニアは一杯のラーメンを見て、麺とスープの絡みが良いとか、これは味噌ラーメンの中でも特に味が濃いとか、そういう話をしている。一方暗橋組は、干からびたチャーシューや、古いナルトのかけらのようなものを手にとって、これは美しいとか、よくぞ残ったとか言っている。だから八馬さんは干からびたチャーシューが出てきたのを見て、「これをあなた方はラーメンと呼ぶのですか?」と訊いた、というわけだ。うん、多分それはラーメンじゃなかった。


そう、暗橋とは、(かつては橋であった筈だが)橋ではないものなのだろう。橋全体を見る立場からすると、親柱や欄干(高欄)、橋脚や橋台など、橋の「部分」にそれぞれ名称がある。暗渠から入った我々にとっては、橋は「そこにあった川を想像する手がかり」としての存在なので、それ以上細分化する用語を求めない。親柱、などの言葉は覚えても、それを「橋」と呼ぶことに抵抗はない。

橋の人は橋全体を橋と呼び、暗渠の人は一部分でも(暗)橋と呼ぶ。これが大きな違いだ。


そして「橋全体」を見る機会が乏しい暗橋組にとって、「橋の構造」はこれまで考えたこともない領域であった。

わたしは「深川メタリック暗橋さんぽ」を書くにあたり、初めて大量のトラス橋を相手にすることとなり、こういうサイトと専門書数冊で、橋の構造の勉強をし始めた。

深川にはシンプルなガーダー橋(桁橋)かプラットトラス橋が多かったが、東京から離れ、旅行中に電車から見える橋の構造を言いあてようとすると、これがなんだか難しい。例えば曲弦プラットトラスと曲弦ワーレントラス(垂直材付)とボウストリングトラスの違いなんか、パッと見難しいと思う。こういう構造名をちゃんと覚えないと次に進めないな、と思っていたら、トーク時にまた新たな名称が出てきてしまった。

磯部さんが出した写真で、(わたしにとっては)「垂直材付ワーレントラスで所々上に飛び出ている形状のもの」が、「カンチレバートラス」だという。説明を聞くと、ゲルバーのことだった(磯部さん説明追記:橋脚から軸方向にせり出し、そこに吊り桁を載せかけた片持ち構造のこと)。わたしはトラスの形だけ見ていたわけだが、それ以外の箇所からも名前はやってくる…これはもう覚えきれないぞ…と軽く絶望した瞬間だった。

ただ、暗橋はそのほとんどが、小さなガーダー橋(桁橋)なので、構造に詳しくならなくても大丈夫のはず。加えて、トラスの楽しみ方も色々であるし、「橋マニア」間でも愛で方に違いがある。ということが八馬さんと磯部さんのやりとりでわかり、ちょっと安心し、暗橋になる可能性のある構造だけ覚えよう、と、自らの落とし所を得たのだった。


トラスの話が長くなってしまった。

この対決を通してわたしが理解した暗橋の魅力・見どころとは、繰り返しになるが、その「残され方」であるということだ。

どんな暗橋でも、そもそも、川はないのに橋がある、という、暗渠そのものよりもさらなる異物、「街角のおかしなもの」的存在だと思う。そこには、そうまでして残したいという、近所の人たちの思いやものがたりが伴われる。どう残すか、という点に、それぞれの思いが反映されている。『暗橋で楽しむ東京さんぽ』には、まさにそういうことがたくさん(高山・吉村双方の観点で)、書かれている。


ものがたりといえば。開渠の橋の中でも、山奥から「発見」された橋が上位にあった。見つける楽しみが橋にもある、と磯部さんが言っていた。その時は暗橋も確かに見つける楽しみがあるので、共通項のように思ったが、後から考えてみると、「人の手で残された暗橋」と「山奥で取り残された橋」は、そのものがたりが少し異なるように思う。もちろん、後者もすごく魅力的なんだけど(わたしは廃墟的なものも好きなので)。


最後に、「暗橋」という言葉について。

暗渠サインのカテゴリには「橋跡」があり、「暗橋」と同義である。今でも「暗橋」のことを「橋跡」と呼んだりもするが、辞書的には「跡=以前に何かが存在したしるし」なので、「橋跡」は「橋が架かっていた(手がかりのある)場所」のこととし、そこに残る構造物を「橋」と呼び分けてもよかったのかもしれない。このあたりのごちゃっとする感じを、「暗橋」という言葉は、ほどよくまとめてくれる。


既述のようにわたしたちが日常で出会う「橋」と、暗渠を探訪していて見つける「暗橋」も別物で、「暗橋」という言葉を与える意味はある、と改めて思うのだった。



トークイベント終了後、関係者で話している時に、「橋とは何なのか」という疑問が持ち上がってしまった。それは話せば話すほど、解消し得ない感覚の残る話だった。「橋とは何か」。これは引き続き考えてみたいと思う。


…こんなに橋のことを考える日がくるとは思わなかった。

刺激をくださった登壇者、関係者のみなさまに、改めて感謝します。

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